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毒親からの解毒日記

自己中心的で「暴力はしつけ」タイプの父、浪費家で「私は悪くないわ、気が付かなかっただけ」タイプの母に育てられ、子持ちになって初めて自分の中にあった親からの毒に気が付いたアラサー女の独白です。

死神と手をつないで歩くこと

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死神と手をつないで歩くこと

一時期、本当に死にたかったことがあった。
結婚して一通り小姑からの嫌がらせを受け、まだ肌寒い4月上旬の東北の実家に転がるように戻ってきて、仕事もなく、両親からはあからさまに「お荷物が増えた」「お金をかけさせないでほしい」という態度を取られていたころ。
そしてさらに、法律事務所に入職したものの、仕事を教えてもらえず、弁護士の先生に路上に捨てられ、希死念慮がひどくなって心療内科に泣きながら電話したころのこと。
あの頃は本当に本当に死ぬことばかり毎時考えていた。ここから飛び降りたら?ここで首を吊ったら?でも、ここから飛び降りたらビルのオーナーがかわいそう。事故物件になってしまう。
学校から飛び降りようか?学校であれば事故物件という扱いにはならない。
でも、学校の校舎は4階建て…。7階建て以上でないと即死できないかもしれないと聞く。もし半身不随にでもなって、あの両親にこれ以上お荷物扱いされながら生きていくのは死ぬよりつらい。
実家のふろ場で首を吊るのが一番かも?
しかしそうすれば家はもう売れないだろう。さらに両親をうんざりさせてしまう。

心療内科にかかって、散歩や気分転換を積極的にするように、特に運動はよいと勧められてから、手持無沙汰な時はふらふらと近所を散歩するようになった。でも、頭の中は自殺の仕方でいっぱいだった。一番あとくされなさそうなのが、車ごと自然壁に突っ込んで死ぬこと。事故か自殺か断定できなければ、変な噂も立ちにくいだろう。でも車は父の名義だから、新しい車を買えるくらいのお金を残さないと。

そういう散歩をしている間中、私は死神と一緒に歩いているような心持だった。「やはり自動車に乗ってどこかにぶつかるのがいいと思う。自損事故扱いになるような。どう思う?」
私の考えた最高の死に方について、私は死神に心の中で何度も語り掛けた。「首吊りも、ある程度高さがあれば即死できるらしいし、うまく頸動脈を抑えられれば眠るように死ねるようだよ」
「首吊りは遺体が汚いかな。山の中でナイフでおなかを切り裂こうか?かなり苦しむみたいだけど。頸動脈をうまく切れるといいかもしれない。山の中ならだれかに飛び散った血を拭かせるということもないよね」
死神は何も答えなかった。ただ私とあてもない散歩に付き合い、ただそこにいた。ただ、そういう中で死神がたった一つ私に伝えてくるものがあった。それは、「いつでも待っているから」ということだった。

いつでも待っている、ということ。

いつ死んでもらっても、ただ待っているから、ということ。
それで私はとりあえず死ぬのを延期することにした。なぜなら、いついかなるときでも死神は待っていてくれるからだった。私がいつ死んでも嫌な顔一つせず待っていてくれる。両親にあからさまに存在をイライラされても、姉に死ねと言われても、実家に姉の部屋があって私の部屋がなくなっていても、死神だけは私を、この私をいつでも受け止めて待っていてくれるし、じゃまにもしないのだ。
この安全地帯のおかげで、私は持ち直し、今ではいくつもの幸運を経て自分の家族を新しく作り上げている。

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