忍者ブログ

毒親からの解毒日記

自己中心的で「暴力はしつけ」タイプの父、浪費家で「私は悪くないわ、気が付かなかっただけ」タイプの母に育てられ、子持ちになって初めて自分の中にあった親からの毒に気が付いたアラサー女の独白です。

洋服の恨み

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

コメント

ただいまコメントを受けつけておりません。

洋服の恨み

ヨウのために、夫の両親が次々に洋服を送ってきてくれる。
正直、私の趣味には合わないものが多いが、かわいがってくれているのが伝わってくるし、ヨウはまだうまくコップ飲みができなくてすぐに服を汚すので、着替えは何枚あってもいい。きれいな新しい服がたくさんあると、どこか少し気取ったところに行くにしても安心だ。

増え続けるヨウの服を片付けていると、自分のことを思い出す。私は本当にほとんど自分の服というのをもたないままに大学生として一人暮らしをすることになった。
一人暮らしをするにあたり、引っ越しの用意をしていて、あまりの服のなさに冷や汗をかいたのを覚えている。比喩ではなく、ほんとうに冷や汗が出たのだ。ぞっとした。路頭に迷った。制服がないのだ。それは、一般の「高校までは制服だったから、学校に何を着ていけばいいのかわからなくて」というような悩みではなかった。単純に、本当に、「一枚も外に着て行けるような服がない」のだ。物理的に「服が一枚もない」のだ。

どうしたのかというと、とにかく家に残っていた姉の着古しのトップス(グレー、グレーとオフホワイトのストライプのロングTシャツ)を二枚と、正月になんの気まぐれか母が買ってくれていたジーパン1枚、やはり姉が着古して置いていった灰色でフリフリのコートを1枚、同じく姉の着古しの黒いジャケットを1枚、姉の着古しのくるぶしまで丈のあるデニムのスカートを1枚、高校3年生の時に友達とショッピングに行き、お金を使う罪悪感に冷や汗をダラダラ流しながら買ったカーキ色のTシャツを1枚、それらだけをかき集めて、入学式に出たのだ。
入学式当日は、母が買ったスーツを着て。次の日の説明会からは、ロングTシャツとジーパンを連日着て行って、その一方でなけなしのお金で(4月は仕送りがなく、それまで貯めていた自分のお小遣いで生活しなければいけなかった)何枚か服を通販で買った。
まだどんな服を買ったのか覚えている。最初に注文したのは、カーキ色と紫のストライプのロングTシャツとワインレッドの膝丈スカート、白と黒のロングTシャツ。
その翌月に買ったのが、ターコイズブルーの七分丈カーディガンとベージュ色の七分丈ブラウス、オフホワイトのレースブラウス、赤紫のキャミソール、カーキ色のサブリナパンツ。
その翌月がピンクのキャミソール、ベージュの7分丈パンツ。
その翌月が迷彩柄のフリースと迷彩柄のパンツ。
その翌月が茶色のノルディック柄のセーターとカーキ色のウィンドブレーカー、冬物のスカート。
毎月1万円までは服代にしようと思った。バイトで月8万くらいは稼ぎだしていたので、それくらいは十分できる。上記の服の中には、気に入っていたり使い勝手がよかったりでいまだに現役のものもある。10年選手だ。
しかし、大学の私が入った学科の人々は、学科が国際関係だったせいもあって、お金持ちでおしゃれな人々が多かった。というのも、留学経験者や、親の仕事の関係で海外生活をずっとしていたような人が半数以上だったからだ。大学に入って最初の数ヶ月、本当に消えてしまいたかった。みじめだった。それなりに服を買った後も、自分の着こなしと、同じ学科の子たちのこなれた着こなしの違いに毎日恥じ入った。たしかに今振り返っても、特に最初のころに買っていた服は、「よりにもよってなぜそれを買ったのかな」と我ながら思ってしまう。「自分で自分の好きな服を買うことができる」という現実と、「自分が着たい服がわからない」という心理が混然一体となった結果、ある種の混乱状態で選んでいたのだろう。だってそれまで「自分の着たい服」というものを着たことがなかったのだから。
私は大学になるまで、自分で服を買う機会が数回しかなかった。お小遣いがほとんどお昼ご飯代に消えていたというのもあるし、私が服がほしいと言ったり、おしゃれなものに目を向けていると、「そんなのどこに着ていく気だ」「似たようなのあるじゃない(姉の着古し)」「なんでそんなのが欲しいの」と言われ、ほしいと主張する気力もなくなってしまったからだ。
恐らく、両親に今言っても、「あんたが欲しがらなかったから」と言われて終わるだろう。
でもそれはそうではなくて、欲しがった時に「欲しいものを与えられる」という成功体験が一度もなかったための「学習された無力感」によるものだ。

私の「洋服欲しい病」は、就職して、ベーシックな服装をすることが当たり前になり、どんな服を選べばいいのかだいたいわかるようになってからはなりを潜めた。収入が安定したので、昔ほど「爪に火をともすようにして」服を買わなくてもよくなった、というのが大きいと思う。
服は、よほど気に入ったものでなければ1,2年で捨ててもいいんだ、と思えるようになったのも理由の一つかもしれない。昔は、「この一枚を買ったらボロボロになるまで着たおさなければならない」という、自分だけの服に執着するがゆえの妄執にとらわれていた。そのせいで似合わなかったり、体型に合わなかったりした服も、嫌な気分になりながらも着ざるを得なかった。
そのせいで、「次こそは、次こそは」と新しい服を欲していた。

毒母は、おそらく今でもその妄執にとらわれている。
だからこそ、高くて一度しか着ない服を買い、スターのクローゼットよろしく何十着もサイズが合わなくなった古い服を3部屋に渡って積み重ね、虫に食わせていく。

拍手[1回]

PR

コメント

プロフィール

HN:
トリ
性別:
女性

P R

最新コメント

[11/29 NONAME]
[01/09 k]
[01/09 k]
[01/07 k]
[01/07 k]

ブログ内検索

忍者カウンター