次は母への手紙。
お母さんへ
お母さんには、いろいろと心配をかけてきたと思います。ここまでそだててくれてありがとうございました。
私が離婚を前提に急に戻ってきた時、いろいろと整えてくれてありがとう。出産して退院してきたとき、家に来てくれていろいろとやってくれたのも本当に助かりました。離婚したり、退職したり、いろいろと無茶をしたけど、なんだかんだでお母さんが働いてお金を稼いでくれているから、多少のことは大丈夫と思って甘えていたのかなと思います。
小さいころは、お母さんが家にいなくて、いても疲れて寝てばかりだったので本当に寂しかった。お母さんが夜勤に行ってしまってから、お母さんがいないのが悲しくて泣いて寝たのをよく覚えています。でも、看護師という仕事の大変さを思うと、それも仕方がなかったのかな。ただ、やはりもう少し小さいころに時間を共有してほしかったという思いはあります。お母さんと飼っていた猫と3人で近所を散歩して歩いたのはいい思い出です。あの時間が一番お母さんと一緒にいたな、という感じがします。おかげで野草の名前に詳しくなりました。
アメリカの出張に付き合わせてくれたり、イラストの仕事をくれたりしたのもすごくためになったし楽しかったです。アメリカ出張では意外と自分の英語力のなさとなんとかなるもんだという事実に驚いたし、イラストのことも、仕事にしてみるとかなりしんどいということがわかり、いい経験でした。やっぱり私はイラストを仕事にするより趣味で好きなように描いているのが性に合っていたのね。
お母さんがガンで入院した時は心配しましたが、手術が成功して再発も今のところないようで、ほっとしています。仕事人間のお母さんが定年を迎えてからがっくりこないか心配ですが、元気でいてください。
母への手紙はこんな感じです。
少し優しい気持ちになった。
最後は姉。
お姉ちゃんへ
元気ですか?
お姉ちゃんが大学に行ってから、年に2,3回しか会わなかったり、と思えば一ヶ月同居したりと、不思議な感じです。そちらの生活はいかがでしょうか。もうすっかり慣れ、こちらの生活になったときにむしろ不便を感じているのではと思います。でも、昔からお姉ちゃんは努力を惜しまず、しっかり地に足をつけていたので、こちらに戻ってくることになってもきっとすぐに適応するんだろうな、と思います。
お姉ちゃんからは、小さいころはよくいじめられたし、きついことも言われたなーと思いますが、お姉ちゃんが昔私に言ったように、「本当のことを言ってくれる人なんていないんだから」というのはその通りで、お姉ちゃんから言われなかったら気が付かなかったことも多かったと思います。どうもありがとう。
お姉ちゃんが昔、お父さんとお母さんが毒親だと言っていた意味が最近になってわかりました。遅い!と言うと思いますが、自分の子供ができて、自分の子供のころされてきたことと、我が子にしてあげたいことのギャップに驚くまではっきりとは気が付きませんでした。お姉ちゃんはかなり昔から毒親と戦ってきていたんですね。
いつか笑って話ができればと思います。元気でいてください。
姉にはこんな感じ。
まあ、姉は根源的な毒ではないからな~と思った。
ここで、これらのワークの感想を。
意外と書き出してみるとすんなりと書けた。ただ、やっぱり感情が不安定になり、涙が込み上げてきたりした。いいことなのかな、いいことなんだろうな、と思ったのは、先日のやられたことを思い出して噴出した怒りが、少し落ちたというか、この手紙によって親兄弟に対する感謝の気持ちでカバーされた感じがすること。むき出しの熱い怒りではなくなったのを感じる。
こうやって許そうとする気持ちでカバーが厚くなっていったら、マグマのような怒りにも触れることができるようになるのかもしれない。
このワークの最後に、インナーチャイルドにもう一度会いに行く。
自己催眠をかけ、インナーチャイルドの状態を確認してみる。
私の場合、インナーチャイルドは育っていて、以前は6歳くらいだったのが12歳~中学生くらいになっている。少し大人びて、しっかりしてきている感じ。イモくさいけど、自分の好きな服を着てはにかんでいる。