次のワークの内容が、一週間の怒りを記録するというものだったので、コツコツと書き溜めていました。一日に一回くらい怒る、という感じ。でも、子供がまだ赤ちゃんで、食べるのも眠るのもうまくできないし後追いがあるので、四六時中「もう~~」とは思ってるんだけどね。以下記録。
5/23 昼食時 子が離乳食を食べないため怒る。私の反応→「もう!」と言って頭を抱える
5/24 昼食時・夕食時 子が離乳食を食べ散らかす・口元についたのを拭かれるのを嫌がり、私の服で拭く・グズグズと泣き止まない・母親(私)の食事の方に手を突っ込む 私の反応→「ちゃんと食べて!ママのご飯でしょう!」など、大きめの声で怒る。
5/25 午前中のおむつ替え時 子がおむつを替えるのを嫌がる→「ちょっとじっとしなさい」などときつめに声掛けし、無理やり履かせる
5/26 やれやれ、と思うことはあっても怒りまで到達せず。
5/27 朝、おむつ替えとズボンをはくのを嫌がり、何度も足を通してはまた抜かれるのを繰り返したことで頭にきて、「いいから着なさい!」と怒る。子がウッウッと怯えて泣き出して反省する。
5/28 夫がいろいろ家事もやってくれたので怒らなかった。
5/29 スーパーに買い物に行く際に食品トレーやペットボトルなどのリサイクル品を持って行ったが、ペットボトルを一本見逃しており、私が帰宅してから夫に「ペットボトル忘れたでしょう!」と言われて「他のは持って行ったんだから一本くらいいいじゃない!」と怒る。
怒りの継続は一瞬で、カッときてぱっと口に出すけど、だいたい子供が相手であるため、次の瞬間「言ってもしょうがないんだけど」と思って反省し、切り替える。相手が夫でも同じ。
これは夫がかなり温厚だし、「怒っても解決はしないんだから」という考え方をする人なので影響されたんだろうと思う。
・怒っているときに考えていること
なんで私が思っている通りにしてくれないの!手間を増やさないで!と思っている。
・体の怒りの感じ方
頭がマヒしてきて、子どもはまだ小さい、とか、人には人の考え方ややり方ある、とか、そういう客観的な理由が見えなくなり、自分の中の「どうして思う通りにならないのか」という意識にフォーカスされてしまう。眉間にしわが寄る。
・怒るとどんな行動をとるか
怒鳴るとまではいかないまでも、大きな声できつい言い方で叱りつける。
・怒りをどう学んできたか
冷静に思い返してみると、私の怒り方は母の怒り方に似ている。
母も私が何か失敗したりすると、「もう!なんでこんなことをするの!」と叱った。例えば、不注意で水をコップからこぼしてしまったり、皿を割ってしまったりしたときも、「なんてことするの!もう!せっかく○○(拭いたばかりだった、揃いのお皿だった、etc...)のに!」と、大きな声で文句を言いながら片づけをする。そのくせ、自分がうっかり何かを壊したりすると、「仕方ないわね、形あるものいつか壊れる」なんて言ってしれっとしている。だから混乱した。
過失であっても自分は許されず、母は母自身を過失なら許す。他人に厳しく自分に甘い。最低だ。しかし、これは考えてみると、私にも当てはまってしまうことに気が付いた。相手が何か過失で私に害を与えてしまったとしても、相手が私に危害を加えた以上、責めてもいいものだと思っていた。大きな勘違いだ。
起きたことに対して、怒るよりも受け入れて冷静に対処した方が気持ちがいいし、子どもも委縮しない。
・自分の怒りを分析する:過去の実例に基づいて
子どもが離乳食を食べ散らかす・食べずに遊びだすことに怒りを感じた。
→一次的な感情
○自分の感情や労力が無視されていることに対する苛立ち
→怒って叱るかわりにどう表現したらよいか
○子供の興味関心の広がりを喜ぶ。子供のペースに合わせる。
夫がペットボトルの出し忘れを指摘したことに怒りを感じた。
→一時的な感情
○自分の努力が理解されなかったことに対する憤り
→怒って言い訳する代わりにどう表現したらよいか
○次回リサイクルに持っていく
最近は社会との接点が少なくなって、あまり怒ることがなくなったのでこんな例しか出てこなかった…。働いているときは、本社の状況が変化しているのにその変化を勤務している支社に誰も伝えてこず、いきなり本社から「旧態依然だ」と怒られて初めて新しい制度になっていることが周知されることが多く、そういうことにかなり怒っていたし、遅刻は20分当たり前という友達に対しても怒っていたけど、子どもができると独身の友達とは遊ばなくなるので、本当に怒る要因が減った。
ともあれ、自分の怒りのおさらいはここまで。次のワークでは、怒りを感じたときにどう対処していくかになる。