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毒親からの解毒日記

自己中心的で「暴力はしつけ」タイプの父、浪費家で「私は悪くないわ、気が付かなかっただけ」タイプの母に育てられ、子持ちになって初めて自分の中にあった親からの毒に気が付いたアラサー女の独白です。

セルフカウンセリング開始 11.許すことにチャレンジする(1)

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セルフカウンセリング開始 11.許すことにチャレンジする(1)

このゴールデンウィーク中、四日から八日まで毒両親がうちに来ていた。
嫌だなあ、憂鬱だとも思ったし、情緒不安定になって夫を心配させることもあったが、おおむね普通に過ごすことができたし、助かったこともあった。そこでそろそろこの「許す」ワークに挑んでみようと思った。

まず、今までは、なされてしまった不健全な対応をおさらいしてきた。
今回は、そんな中でもなされた健全な親とのかかわりを思い出してみる。

・私が甘えるとひざに乗せてくれた。
・小学校2年生まで、教科書やノートすべてに私の名前を記名してくれた。
・2年に一度くらいのペースで家族旅行に行った。3年生の時は日光で、5年生の時はシンガポール・マレーシアだった。
・月に1,2回外食に連れて行ってくれた。
・クリスマスに私が眠ってからこっそりプレゼントを枕元に置いてくれた。
・毎年、夏にキャンプに連れて行ってくれた。
・成人式の時、振袖を着せてくれた。
・私が食事を用意した時は、おいしくなくても文句を言わずに食べてくれた。
・雪の日、高校まで送り迎えをしてくれた。また、学外での活動があったときも送り迎えをしてくれた。
・高校生の時に携帯を持たせてくれた。
・大学に進むとき、家にあったノートパソコンをくれた。
・就職して車での通勤が必要になったとき、使っていなかった車をくれた。
・交換留学をすることになったとき、うちにホームステイした子の面倒をよくみてくれた。
・大学生になった姉のアパートに遊びに行ったとき、名所旧跡を案内してくれて、ハンカチを買ってくれた。

ここまでで一度振り返りのワーク。
これらを思い出してどう思ったかを書く。
私としては、小さいころになんでも自分でしなければいけなかった、失敗したらこっそりそれを立て直しておかないと、叩かれたり怒鳴られたりしてしまうという焦りに似た恐怖感があって、ありがたかったなあと思う反面、嬉しかった、愛情を感じた、という思いはあまり湧いてこなかった。
特に、家族旅行やキャンプについては、たしかにお金をかけてくれたんだろうけど、いつ父が不機嫌になるかひやひやしながらだったので楽しい思い出とはいいがたい。
成人式の時の振袖も、母の通う美容院で、田舎のおばちゃんのパーマしかやったことないような美容師さんがメイクしたため、真っ赤っかな口紅、オレンジのほっぺ、ほとんど白塗りというひどいありさまで、喜んでいるのは母だけ、私は一刻も早く落としたかった。
父の機嫌、母の機嫌、姉の機嫌をいつも窺って生きていたので、嬉しくないことも嬉しいふりをして見せないといけない、体がつらくても看病してもらえるわけでもないので、自分でなんとかしないといけない。ちょっとうれしいことがあると、黙って一人で喜んだ。家族に言っても「そんなつまらないこと」という扱いを受けるのがわかっていたからだ。
してもらって嬉しかったこと、というか、嬉しいと思わなければいけないことを書き出したにすぎないという感じ。
でも恐らく家族のそれぞれは、私を喜ばせようとして、かわいがろうとしてやってくれたんだろうとは思う。その気持ちは喜ばないといけない。
また、やはりいい思い出は私が小学校高学年以降になってからのことが多く、本当に弱くて世の中がわかっていなくて自分自身すら手に余っていたころの思い出は、家族とのものはいいものがない。子供のわがままに対応できるだけの父親・母親ではなかったのだろう。いつもめんどくさがられ、うるさがられていた。

次に、リラックスした状態で、自分を傷つけた人が傷ついて泣いている子供の姿になっているのをイメージし、それを心の中に入れ、その子を癒してやり、子どものころの自分が許してあげるイメージをする。
これが、私の場合、父・母・姉と三人なのでイメージが大変だった。でも、父は父で厳格で立派な父(私の祖父)からのプレッシャー、転校につぐ転校で幼いころからの友人というものがいない寂しさ、対人コンプレックスで人との接し方がわからないながらも、娘に嫌われたくないとなんとか自分なりにやってきたんだろうな、と思った。その点は同情する。
母は母で、母自身が完璧にDV家庭で育ったアダルトチルドレンだ。
姉も、少なくとも私と同じ程度には父と母から傷つけられている。私を傷つけたのは、自衛手段であり、両親に傷つけられてたまったうっぷんの晴らしどころがほかになかったからだ。

これは本当にできればやりたくないワークだった。結局許さないといけないのか、と思うからだ。ひどいことをされて育ってきた。そのイメージの方がまだまだ強い。許せない。許せないと思うだけのことをされてきた。許せないから、顔を合わせるたび私の情緒が不安定になり、子どもがその不安を感じて不安定になる。
でも、結局のところ、怒っているところで立ち止まっているわけにはいかないのね。
許せないけど、許してみるしかない。


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