次のワークは、虐待によって心の中で成長が止まってしまった子どものままの自分自身(インナーチャイルド)の絵を描く。子どもを描いてもいいし、何か他のイメージや抽象的なものが浮かんで来たらそれを描いてもいい。私の場合は下記の絵になった。

次に、自分が描いた絵を見守ったあと、絵の周りをヒーリングカラーで取り囲んでいく。
そして虐待されて凍り付いたインナーチャイルドを溶かしていくのをイメージする。
それが終わったら、ぬいぐるみや毛布、枕やクッションなどを用意し、それをインナーチャイルドの代わりに抱きしめる。優しい言葉をかけてやる。「がんばったね」「もう心配いらないよ」など。
私の場合、今までのステップの中で一度も涙が流れたことがなかったのだが、このワークの時に涙が出てきた。びっくりした。本には、「このワークがすんだらどれくらいインナーチャイルドが成長したのか書いておきましょう」とあるのだが、全然成長しません。
最後のワークとして、インナーチャイルドに話しかけてみる、ということをする。
私がリラックスしてインナーチャイルドを見てみると、インナーチャイルドは借家の、寒い台所にいた。借家では台所に暖房がなく、居間とも障子と廊下で隔たっており、とても寒かった。
私はイメージの中で紺のトレンチコートを着て小さなころの私に近づいた。
この絵の中にしろ、イメージにしろ、ぼろぼろの借家の時の映像だったので、私の虐待の原風景って、この借家の時代なんだなあと思った。
私は大人になったあなたよ、どうしたの、と小さな私に声をかけると、居間に姉がいるからいけない、と言う。
姉がいると、母は姉の味方をする、姉と母に嫌なことを言われるのが嫌だから、居間に入れない、という。
そうかあ、そうだったなあ、姉と母がいると、コウモリの母はすぐに姉のほうに味方して一緒に私をけなすんだったなあ、と思い出した。
じゃあ、お姉ちゃんにもお母さんにも内緒で、楽しいことをしよう、と言って二人で出かけた。
昔よく母や姉と行ったデパートに行って、ひよこ色のワンピースを買ってあげた。帽子がセットになっているもので、小さな私はそれを着てくるくると回った。
下着も何セットも買った。クツシタも。くつも。くつも、姉のおさがりばかりだった。姉のおさがりはぼろぼろで、雨の日は水がしみてきて本当に嫌だった。一度でいいからぴかぴかの、雨をはじく新しい靴をはきたかった。なんと、小学校の上履きも姉のおさがりで、穴が開いたのをはいていかざるを得なかったのだ。
私は小さな私をそっと家に帰して、抱き上げ、目を見つめ、また来るよ、と言った。一緒に大きくなっていこうね。
こんなに無邪気な子供だったのになあ、と思った。
たぶん、4,5歳の時の自分だと思う。このあたりで成長が止まっている。そうかも。小学生になったら家事漬けだったから、就学前で私の心は凍らされてしまったのだな。