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毒親からの解毒日記

自己中心的で「暴力はしつけ」タイプの父、浪費家で「私は悪くないわ、気が付かなかっただけ」タイプの母に育てられ、子持ちになって初めて自分の中にあった親からの毒に気が付いたアラサー女の独白です。

ヨウの後追い

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ヨウの後追い

ヨウの後追いが、最近ひどくなった。
1歳半を過ぎたので、本来なら後追いは次第にしなくなるハズだったのだが、
むしろ悪化の一途。今まではイノだったり、他の人が誰かいれば、特に私がいなくても安心して遊んでいたのに、最近では私がちょっといなくなりそうな気配を感じただけで、手をつないでくる。
スーパーや子育て支援センターなんかで出会った人から声をかけられても、以前はニコニコして、抱き着いたりもして、むしろ私より出会った人の方が大切、という感じだったのに、最近ではちょっとほかの人に緊張した様子を見せるようになった。

それで、そうか!と思った。

以前はたぶん、ヨウの見ている世界の中に、誰も悪人はいなかったのだ。すべての人は自分をはぐくむものであり、自分は当然手当され、食べ物を与えられ、温かい場所を提供されるべきものだったのだ。
成長するにつれ、それらを「当然」「確実に」行うのは自分を産んだ母親だけなのだ、ということに気づいてきたのだ。
たぶん、7ヶ月くらいで人見知りをする普通の子は、世界の中にそれまで「自分」と「ママ」しかいなかったのに、急に父親であったり、母親の友達であったり、祖父母であったりと言った生活に付随する人物たちの姿が意識として認識されてくるから、拒否反応が出るのだろう。
ヨウは、そのころ全く人見知りをしなかった。それどころか、すれ違いざまに声をかけてきた無骨な男性にだっこされてニコニコしたり、初めて見る女性の膝に乗ってみたりと、なかなかチャレンジャーで、母である私の扱いは下僕以下だった。思い通りにならないことがあると、私を殴った。私がだっこしたり、手をつないだりするよりも、道行く人から構われる方が楽しげだった。
だから彼にとっては、最初からたぶん、世界にはいろいろな人がいる、という認識からスタートしていたのだと思う。ただ、その中でずっとずっと付きまとい、中心的に世話をする人間が一人いる、という感じだったのだろう。
大きくなって、少し「ものには名前がある」「たくさんの人がみんな僕の面倒をみるわけではない」と気づいてきたから、急に「そんな中で、唯一確実に僕の面倒を昔から見ているひと」と母親である私が結びつき、「僕にとって大事な大好きな人!いないと困る」となってきたのだろう。
小さいころは、後追いも人見知りもしないので、私に対するヨウからの愛着が今一つ感じられず、少し寂しい思いもしたが、これらの彼の頭の中の道筋の見当がつき、べったりと甘えられる今となっては、その愛情を裏切るまいと思う。

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