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毒親からの解毒日記

自己中心的で「暴力はしつけ」タイプの父、浪費家で「私は悪くないわ、気が付かなかっただけ」タイプの母に育てられ、子持ちになって初めて自分の中にあった親からの毒に気が付いたアラサー女の独白です。

同情

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同情

離婚した時の結婚のとき、当時の夫(ヒモ)の実家に同居していた。
その時ヒモの母は末期がんで、自宅でターミナルケアを受けていた。
ただし、ヒモの母は自分が末期がんであることを知らされておらず、治って元気になれるから、と家族や看護師に言われていた。そして私にもそうふるまってほしいと。
その末期がんのヒモの母(以下ヒモ母)さんのケアは、1年前に婚約中に妊娠して結婚したヒモの妹(私より5歳年上)が主に行っていた。ヒモ妹は金属加工工場で働いている、「100年続いた農家」であることが自慢の夫の元を生後10か月の子供と一緒に離れ、ヒモ実家で暮らしていた。
そこに私が飛び込んできたわけだ。
ヒモ母は、喀痰吸引と点滴、酸素吸入、疼痛緩和のための麻酔薬の貼り換えなどの処置が必要で、それらの手技をヒモ妹は身に着けており、二日に一度訪れるヘルパーと、一日一度訪れる訪問看護師と一緒にそれらを行っていた。私はそれ以外の家事を全部やることになった。
掃除、洗濯、炊事、お風呂の用意。ヒモ父とヒモはお弁当こそ不要だったが、6時に朝食を摂るということで、私は5時半には支度していなければいけなかった。
また、掃除も、ヒモ母が元気だったころは、ヒモ父は掃除が終わった後に窓のさんを指で拭き、ほこりが残っていたらやり直しをさせたそうで、手を抜けなかった。そのくせ、実際の炊事・洗濯・掃除については、ヒモ父は自分ではまったくやらないのだ。文句だけはつける、というわけだ。

ところで、私が来る前までは、ヒモ妹が家事のすべてとこのヒモ母の介護と自分の子供の世話を一手に行っていた。そこで私が来て、ヒモ母のことと自分の子供のことだけをやればよいようになったので、ヒモ妹は楽になったはずだった。ところが、ヒモ妹は私が家事のすべてをやることに対して苛立ちを募らせ、どんどん態度が険悪になっていった。ヒモ母が亡くなってからはそれは加速し、取り返しのつかないところまでいった。
当時は、私はそれがなぜなのか全くわからなかった。私は一応献身的と言ってもまあまあいいくらいに、突然放り込まれた慣れない家の中で必死に手落ちのないように家事をやった。ヒモ妹も楽になったはずだった。それなのにへそを曲げて当たり散らし、毎晩私に聞こえるように私の悪口を離れている夫に電話口で語るヒモ妹は異星人だった。尋ねてくるヘルパーや親せき、ヒモ妹の友人にも、私のことをあることないこと泣いてしゃべりまくった。私が隣の部屋にいることを承知で、「あの女が来てから家はめちゃくちゃだ!居場所がなくなった!あの性悪女のせいで!財布もあの女が盗んだに決まってる!うちの旦那に色目を使う!食事に毒を入れられる!」とわめいていた。全部うそだ。そんなことを私と直接接することのない人たちに言いまわって同意してもらって一緒に私の悪口を言ってもらってなぐさめてもらうなんて、本当に下種で、低能で、人間のくずだと思った。

今、子どもを育てていて、あの時のヒモ妹に同情する気持ちが湧いてきた。

むろん、ヒモ妹はある意味では本当に下種でくずで頭が悪いと思う。中卒で家出して男の家に転がり込んで、男に捨てられたからと言ってのこのこ実家に戻ってきて、見合いで婚約した男と結婚前に子どもを作って、夫の手取りが12万しかないのに自分は絶対にパートなんかしない!夫の稼ぎだけでやりくりするのが賢い妻!と言って金がない、服も買えないと言い続け、そのくせ3万の保険料を払い続け、義理の家族の家に食事をたかって、離れに住まわせてもらって居心地が悪いと文句を言う女。私のことを、話し相手が「そうね、そんな女は最低ね、ヒモ妹ちゃん本当にかわいそう!私ならそんな女追い出してやる!」と言うまで嘘か本当かは二の次で思いついた悪口を吹聴して回る女。明治の農地改革で農地をもらった小作人上がりの夫の実家を、さも名家のように自慢して回る低能な女。彼女があまりに暴れたり、人を口汚く罵るため、ヒモ母は霊媒師に大枚を払って「憑きもの落とし」のお祓いを受けさせたことまであるとヒモは言っていた。少し前までは、私は完全に彼女を見下していて、同情なんていっぺんもしなかった。

でも、彼女はとにかく子育てと親の看護と、金を入れる以外何の役にも立たない父親の世話を一人でやっていたのだ。
それはすごいことだ。
まあ、親の看護に関しては、私が来る前まではひどいものだったようだ。
ヒモ母は、手が動かなくなるまで日記をつけていたのだが、その日記には我が娘への呪詛が書き連ねてあった。
ヒモ妹は、病気でトイレもうまくできなくなり、腫瘍からにじみ出てきた膿やリンパ液のガーゼ交換が必要になった母親に対して、くさい、汚い、役に立たない、面倒ばかり私に押し付けると言い続けていたようだ。ある日の日記には、水が飲みたいから枕元に置いてほしいとヒモ妹に言ったら、なんでそんなことをしなきゃならない、自分でやれと言われ、浮腫んで床につくだけで激痛の走る足でヒモ母は自分で水を汲んできたことが書かれていた。今世話になっているし、苦労も掛けているとは思うが、それにしてもこれまでこの子にかけられた迷惑を思えば、悔しくてたまらないというようなことが書いてあった。ヒモ妹はかなり中学生のときから荒れており、子育てに全く無関心なくせに何かあると家族を殴り飛ばすヒモ父の存在もあって、ヒモ妹のしりぬぐいをすべてヒモ母がやっていたらしいので、その悔しさや悲しさは相当だったのだろう。
他のページでも、今日はこう言われた、こんなことをされた、これをしてもらえなかった、と、娘との確執がつづられていた。私が見せられたノートはヒモ母が直近でつけていたもので、ノートの半ばで終わっていたが、それにしても一日分たりとも幸せそうな記載がなかった。
そしてこのヒモ母は、わが娘の手による喀痰吸引の際に気管を傷つけられ、出血が起こって呼吸不全に陥り死んだ。

でも、私なら、母親のターミナルケアをしつつ、乳児の世話と家事をするなんて無理だ。母親にはもう終末期であることを伝え、また、自宅での看護は無理であると伝え、病院で最期を迎えさせただろうと思う。ヒモ母を無理やり退院させ、自宅で看護させたのはヒモ父の一存らしい。ヒモ妹は、それらが決定してからいきなり「看護するのはお前だから」と言われて呼び寄せられたのだそうだ。
私なら冗談じゃないと思う。ヒモ父を殴ってでも、文書を偽造してでも病院にぶち込みなおす。
ヒモ父の自己満足感が得られること以外、誰も幸せにならない選択。
ヒモ母も、病院でであったなら、わが娘に虐待に近い看護をされることもなく、ある程度達観して平和に最期を迎えられたのではないかと思う。
ヒモ妹も、文句を言いつつも嫁いだ家で育児に専念できたのでは。
そこに嫁として私が突然乱入してきて、家事を一手にやるようになった。状況が状況なので、親戚一同私を歓迎する。ヒモ妹ちゃんも楽になってよかったね、お嫁さんができる人でよかったねと言われる。私が現れなければ、ヒモ妹は母の看護と育児と家事を一人でこなしたスーパーヒロインだったのに。人々の尊敬や賛辞はすべてヒモ妹のものだったのに、この嫁が来たせいで、自分のこれまでしてきた苦労へのねぎらいが半減どころかほとんどすべてなくなってしまう。
今まで荒れて暴れたことばかり親戚から言われて、褒められたことのなかったヒモ妹に今ここで寄せられるはずだった賛辞を、私が総取りしてしまったというわけだ。彼女には許せなかったのだろう。
むろん、誰だって本当はヒモ妹の方が私よりずっと長いこと看護と育児と家事でキリキリ舞してどんなに大変だったのかわかっている。ただ、遠方から、本当に家が大変なときに飛び込んでくれた人に対して敬意を示したにすぎない。それでも、「自分の母親の世話なんだから、ヒモ妹はやって当然。大変なところにやってきて、慣れないなりに尽力している嫁さんはえらいね」という評価が、彼女にはたとえ私に対する応援、またはおべんちゃらであっても我慢できなかったのだ。

今までは、彼女を呪うばかりだった。あんなクズが現実に存在するんだ、と思っていた。でも、今では、許す気にはならないけれど、少し同情している。

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