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毒親からの解毒日記

自己中心的で「暴力はしつけ」タイプの父、浪費家で「私は悪くないわ、気が付かなかっただけ」タイプの母に育てられ、子持ちになって初めて自分の中にあった親からの毒に気が付いたアラサー女の独白です。

酒鬼薔薇事件の親の手記を読んで思ったこと

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酒鬼薔薇事件の親の手記を読んで思ったこと

「少年A」この子を産んで…
というのが、19年前に起こった神戸連続殺人事件の犯人(少年A)の親の手記のタイトル。
うちの母が買って読んだらしく、家にあったので読んでみた。そうしたら、やっぱりというかなんというか、とんだ毒親だった。
恐らく、普通の人がこの本を読んだら、「あんな重大事件を起こした子も、意外と普通の家庭で普通に育てられているんだな。家庭環境というのとは関係なく、殺人を起こしたい人というのはいるんだな」と思うのかもしれない。
でも、アダルトチルドレンである私から見ると、この人たちはまぎれもない毒親だ。
少年Aは、たしかにほかの人には持ちえない性癖の持ち主だと思うが、それを培い、実際に人を殺すほどまで見事に育て上げたのはこの親あってのものだと、手記を読んで思った。

もしこの本を購入したいと思う人がいても買わなくて済むように、引用を多用したいと思う。
本書は6章で構成され、主に母親の手記からなる。父親は第一章で被害者とそのご家族に対して謝罪とこの本を出版する理由について書き、第3章で事件前後の日記を寄せており、そのほかは母親の筆となっている。
父親の手記は、読んでいると実に平凡な父親像を連想させる。
でも、自己中心的な人というか、他者に無関心な人なんだろうなと感じさせられる。
第3章において、父親は少年Aの逮捕当日とそのあとのマスコミ攻勢、警察からの聴取等について日付ごとに書いているのだが、自分たちの残された二人の息子の様子ということについてはほとんど触れないのだ。恐らく、そういう状況にあって、最もケアを必要とし、状況が分からず、苦しい思いをしているであろう当時13歳と11歳の子供たちについて、会話をしたとか、こういう様子だったとかいうのはめったに出てこない。6月末から8月いっぱいまでの42日間の日記の中で、息子たちに触れているのは下記のとおり。

7月2日 -前略-下の子供達二人は逮捕以降、寝るときは私や妻にべったりしがみついて眠る毎日です。

7月11日 -前略-午後三時ごろ、親戚の家に帰ると、子供二人の調書がまだ時間がかかりそうでした。「二人とも昼食もまだ食べておらず、お腹も空いています。今日は疲れているので…」私は勇気を振り絞ってお願いしました。-後略-

7月13日 -前略-ずっと部屋の中で取り調べばかり受けているとストレスがたまり、私たちはともかく、子供達まで頭がおかしくなりそうになっていました。-後略-

7月16日 -前略-次男、三男はストレスで疲労しきっている様子でした。

7月18日 -前略-子供達が外に出られず、ストレスを貯めているのが気になっていました。-後略-

7月21日 -前略-子供たちは疲れている様子だった。-攻略-

7月22日 午前十時頃、事務所で弁護士の先生に会い、子供達の疲れがピークに来ているので何とかしてやりたいと相談しました。-後略-

8月7日 ※子供たちを弁護士の手配により遠方で生活させることとなり、出発の日-前略-三男はジュースを一口飲むとすぐにもどしてしまいました。やはり親と離れて暮らすことに不安が募り、緊張している様子でしたが、二人とも泣いてはいませんでした。あまり2人は話しませんでした。-中略-どうか、めげずに元気で戻ってきてほしい。-後略-

以後、次男・三男について記載なし。

上記の通り、父親は息子たちといわゆる「腹を割って話す」ということをしていないのが見て取れる。息子たちが大人と同じように状況を理解しているかのような扱い。そして、マスコミ対応や調書作成により、自分・妻が疲弊しきっていることがしきりと書かれ、思い出したように「死んで詫びることもできない」というような内容がさしはさまれるが、あくまでそれは「Aがこんなことをするとは」という思いからであり、「自分が至らなかった」という悔恨は語られない。
本当の意味では「家族」というものにコミットしていない、自分本位な人なんだな、ということを感じた。
少年Aが逮捕された当日も、家に警察がやってきて少年Aの部屋に案内してほしいと言われたとき、少年Aが何かしたのか、とか、どんな要件なのか、という、親であれば当然尋ねるであろうことをすっとばして言われるがままに少年Aの部屋に案内している。
親として子どもを守ろうとか、子供のやったことは親の責任、という意思がない。

母親の手記は、まさに毒母そのものだ。そして、恐ろしいのは、それを全く悪意なく、普通の、当たり前のことをしていたのに、という論調で書かれていることだ。
私が読んでぎょっとした部分を以下に抜粋する。

※第4章はA少年のおいたちになっている。A少年は7月7日生まれ。
7月19日※生後12日 三十六度九部の熱があった。でも、母乳はよく飲む。心配なので病院へ連れて行こう。異常なし。へその緒を消毒してもらった。

 子どもを持つとわかるが、新生児というのはそもそも体温が大人よりやや高い。36度台なら平熱。また、気温に影響を受けやすいので37度台であっても、薄着させるだけで36度台まで下がることも多い。それらの説明は出産時に助産師からもされるし、育児本にも書いてある。待望の男児、初めての子ということで、過敏に反応したのかもしれないが。この文章は第4章に入ってすぐの記述だが、過干渉気味なのではないかと感じる。さらに驚いたのが次の記述。

8月5日※生後29日 今日初めてトイレでウンチさせた。なるべく早く、そういう習慣をつけよう。一ヶ月検診へ。母子ともに順調。

 生後一ヶ月でトイレトレーニング。父親の方もそうだが、子供を子供にさせておきたくない(なるべくそういうおいしくない世話をしたくない)毒親の特徴を連想させられた。おむつはずしをこんなに早くするのは聞いたことがなかった。

その後、少年Aは1歳9か月でおむつを卒業させられている。

また、少年Aは3歳の時、心因性の足の痛みを訴えている。このとき、少年Aには2歳の次男と生まれたばかりの三男がいたので、寂しかったのだと思われる。医師に、弟たちだけでなく少年Aにももっと愛情を注ぎケアをするよう促されている。

兄弟が喧嘩しているとき、理由を聞いて弟の方が悪ければ弟を叱ったとは書いてあるが、忘れ物をしやすく、引っ込み思案というか、自分の世界にこもりがちな少年Aに対して、日常的に忘れ物をしないよう、仲間に入れてもらうよう「注意」していたという。少年Aとしては恐らく、それらの「注意」も耳に痛い説教に聞こえていただろうし、自分の行動を否定されていると感じただろうと思う。
また、そんなに厳しくした覚えはないと繰り返し出てくるが、こういった少年Aの個性の否定、毎日の部屋掃除による室内チェック、弟と比較されての否定的な言葉の投げかけは、「厳しい母親」ととっても仕方のないことだっただろう。少年Aは、兄弟げんかの時に父親に自分だけ殴り飛ばされたとき、急激にうつろになり、うわごとのように「前の家の台所が見える、帰りたい」と言うという異常な状態になったことで医者にかかっているが、その時も医師より過干渉を指摘されているし、同居していた実母(少年Aの祖母)からあんたは厳しすぎると何度となく喧嘩になったことが書かれているため、かなり頻回に少年Aに対してしつけともとれる否定的な言葉の投げかけがあったことがうかがえる。
この、子供の立場から見て「アイデンティティの否定」を、この母親は下記のとおり記載している。恐ろしいのは、それらの行為を「子供の個性の否定」「子供の自我の摘み取り」という風には全く考えていなさそうなことだ。

 私は毎朝、子供たちが学校へ出かけると二階へ上がり、部屋の窓を一斉に開けて、空気の入れ替えをするのが日課でした。-中略-
 中学に入って、Aは六畳の一人部屋、下の弟たちは十二畳の大きい部屋にいました。「母さん、机の上とか片づけんでええから、そのままにしといて。場所がわからんようになるやろ」
Aはよく私にそう注文しましたが、私はその場だけ「ごめんね」と言っては、必ず片づけていました。

 その後の記述で、イラストがノートに書いてあったが印象に残っていない、とあるので、この掃除の際にあれこれ息子の持ち物を物色していたと思われる。これはうちの親も毎日ではないがやっていたので、これをやられることが自分を裸にして検分されるくらいに嫌な気持ちになるということは想像に難くない。これは中学生にもなると、まさに「自分自身」という領域の侵犯行為だ。しかもそれが毎日となると、侵された自分自身を立て直す気力も失せるだろう。

また、少年Aが所有していたナイフについても、下記の記述がある。

 そのナイフは、私が掃除をしにAの部屋に入ったとき、衣装ケースの中から出てきました。そのケースには、衣類を夏物と冬ものを分けて入れていましたが、普段はあまり使わない引き出しの中にしまってありました。「ナイフなんか何に使うんやろ」
びっくりして夫に相談し、二人でAを問い詰めました。

 明らかに隠していたものですら、こうやって日々の「掃除」という名目の家探しによって発見されてしまう。さらにぞっとしたのは次の記述。

 Aが中学二年生の時、部屋の衣類を入れてある引き出しに、AVビデオが2,3本隠してあるのを見つけたことがありました。
「友達と家で見るために預かったんや」
Aは言い訳しましたが、夫はこう注意しました。
「A,家で友達とみるのは絶対あかんぞ。ビデオを見たいんやったら、父さんと一緒に今から見よう」
「僕が見たいわけやないから、別にええわ」
 Aはそう言いましたが、2人は二階に上がってビデオを見たようでした。
 ビデオは、中学か高校の制服を着た女の子が海辺で服を脱ぎ、裸で入っている、という内容のものだったのですが、Aは関心をあまり示さなかったようでした。
「どうや、お前。女の子好きか?感じるか?」
「いいや。別に」
 Aは恥ずかしそうにするわけでもなく、表情も変えずにぼーっと眺めていたそうです。

 中学生にもなれば、AVに興味を持つのはある程度当たり前のことだ。
それを毎日の家探しによって母親に発見され、しかも父親に言いつけられ、父親と見ることを強要され、「感じるか?」などと尋ねられる。まっすぐに育った子でも曲がる。ひどすぎる。
そのうえ、このひどい出来事を、母親も父親も異常なことをしていると全く思っていない。
彼の祖母は、彼の扱いについてかなり母親と喧嘩していたようなので、祖母だけはもしかしたらこういう父母の行動の異常さに気づいてくれたかもしれない。でも、もうすでにその祖母は亡くなっていたので、誰にも助けを求めることはできない状態でもある。

 子供の部屋を毎日家探しし、AVの内容を本人とともに確認し、弟たちと比較して勉強ができない、トロい、子供らしくないと言い続ける。そういった完全監視の一方で、猫を殺したり、通り魔的に弱者を殴ったり、隣家の屋根にたばこの吸い殻を投げ捨てると言った、本当に気が付かないといけないことには少しも気が付かない。自分が見たくない、自分の発想の範疇を超えた物事については見えない。
 この両親もうちの親と一緒なのだと思った。私が同じ服を一週間着て、同じ下着を三日着ていても、そんなことより私がどんな漫画を描いているのか、私がどんな日記を書いているのかのほうが気になるし知りたいのだ。この親も、母親は専業主婦でその理由を「子どもに時間をかけたかったから」と書いているが、その割に起きてきた少年Aは朝食を自分で用意したりしている。また、音楽祭の日に体操着で少年Aが出かけようとした時も、「少年Aのクラスはそうなんだろう」という程度でスルーしている。実際は黒や紺のブレザーやカーディガンを着るような日だったようなので、かなり少年Aは浮いてしまったと思われる。自分がやりたいケアしかしない、自分の都合の悪いところには気が付かないのも、毒親の特徴だ。
 この人たちの手記を読むと、猫を殺したり、人を殺したりした子供が自分の子じゃないみたいだと何度も書かれているが、それは少年A本人の「透明な存在」という言葉に集約されていると思う。
 要するに、この親は、自分が想定している、「この子はこういう子だ」という自分に都合のよいレッテルを貼り付け、それしか見ていなかったということだ。
 この手記を読んでいて、ふと全身白タイツの人に、他の人をプロジェクションマッピングし、あたかもその他人がそこにいるかのようにするCMを思い出した。本当にその場にいる人は、その白いタイツを着ている人物だ。でも、プロジェクターによってほかの人の顔や服が投影されているから、みんなそれしか見ない。誰が白いタイツを着ているのか、ではなく、誰の投影が行われているかしか見えない。少年Aは少年Aとして存在する。でも、白いタイツを小さいころから着せられていて、誰かの影を投影されている。
白いタイツは息苦しい。自分の部屋でくらいは脱ぎたいと思う。本来の自分の素顔になりたいと思う。でもそれは許されない。自分の部屋も監視され、白いタイツの上に投影されている人物のために毎日部屋は整えられる。その投影されている人物にそぐわないものが部屋にあると、両親から問い詰められる。白いタイツの中身である自分自身の存在は許されていない。父と母によって、自分の白いタイツの上に、誰かの影がずっと投影されている。その誰だか知らないけどずっと投影されている子供のふりをし続ける。白いタイツの中身である自分には目を向けられることはない。
 
 また、こういうことも思った。人は心の部屋をいくつも持っている。その部屋はホテルのように、細長い通路の両側にたくさん並んでいる。手前の部屋になればなるほど、関係の浅い人にも入室できるようになっている。逆に、奥の部屋になればなるほど不可侵になっていく。奥の部屋になればなるほど、誰にも見せない自分の世界といった様相が濃くなっていく。普通の人は手前の2部屋くらいで知人程度の知り合いの相手をし、家族や恋人にその次の2部屋位を見せる。あとは自分の部屋としてとっておく。ところが、少年Aの場合は、家族が手前の2部屋を超え、次の2部屋も超えて入り込んでくる。誰にも入室させたくなかった部屋をどんどん開けてくる。しかも当然のように。もっと奥に逃げ込む。健全な空想の部屋はとっくに開け放たれ、踏み荒らされ、居場所がなくなってしまった。もっと奥に逃げ込む。両親が絶対に思いつかないような自分だけの部屋の中に。
そういう自分の不可侵の場所を求めて猟奇趣味に行きついてしまったんじゃないかなと。

 祖母との関係を警察に何度も聞かれたが、祖母と仲が良かったのはむしろ三男だ、ということも母親は2,3回記載しているが、そういうことではないということもこの母親はわかっていない。仲が良かった云々、ということではなくて、家にいる大人たちの中で祖母だけが誰かの影を投影せずに少年Aや次男・三男を見、肉親の愛情を注いだのではないか。
ちなみに、おそらくこの投影されている子どもは、「拳児」という漫画の主人公の子供と思われる。母親本人が、自分の理想の子供像としてこの主人公の子どもをあげており、そういう子になってほしくて子供たちの本棚に「拳児」全21巻を「さりげなく」置いていたと書いている。
 本来であれば、親は「理想の親像」を持ち、自らがそれを目指すべきであり、自分とは違う人間であるわが子に、「理想的な子供の姿」なんてものを押し付けるものではない。

もちろん、少年Aは異常だと思うし、ああいった事件を起こすにあたり、本人の資質も大きかっただろう。責任は本人が十分に負うべきだ。でも、ボールが転がるにはそれ相応の力がいるように、この両親の存在が拍車をかけていたのではないかと感じざるを得なかった。

一応最後にこの本の印税は被害者遺族にすべて渡しているというようなことが書いてあったが、現在8000万円の支払い命令に対して月8000円しか送っていないらしいので、本気で息子のしでかしたことについて謝罪し贖う気もないんだろうと思う。一万ヶ月、834年間支払えばいいと思っているんだろうか。
私はちゃんと自分の子供の世界を尊重する親になろう。そして、子供に共感できる親になろう。本当の意味で子供に寄り添えるように。

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