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毒親からの解毒日記

自己中心的で「暴力はしつけ」タイプの父、浪費家で「私は悪くないわ、気が付かなかっただけ」タイプの母に育てられ、子持ちになって初めて自分の中にあった親からの毒に気が付いたアラサー女の独白です。

毒父とのエピソード

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毒父とのエピソード

毒父は、たまに家族サービス的に外食に私たちを連れて行ったり、キャンプに行ったりした。キャンプに行くときはたいてい、父の同僚の家族と一緒で、その家族には年の近い子供たちがいたのでそこそこ楽しかった。ただ、父の友人も同じ穴の貉で、キャンプに行ったときにごみをポイ捨てしたのを私が見とがめたとき、「そんな目で俺を見るな」と殴られたことがある。
外食に行くときも気を使わなくてはならなかった。私がまだ幼児だったころ、何かの用で家族でデパートに行った。そのままそこで昼食を食べることになったのだが、レストランがえらく混んでおり、食券を買ってから外のイスに座って待っていなければいけなくなった。
姉は小学生で私は幼児だ。幼児がいつまでもおなかを減らしてじっと座っていられるわけがない。私は母に「ねえ、まだ?」と何度も尋ね、足をいすからブラブラさせた。そもそも、レストランで食事をするために外で待つ、という経験がそれまでなかったので、状況がわからなかった。なぜ自分たちはテーブルに座れないでこんなところで待たされているのか?いつまで待たされるのか?
何度か母に「どうしたの?(どうしてテーブルにつけないの?)」と聞いたところで、父が「うるさい!もういい!帰る!」と怒鳴って、私を引きずって車に乗り込んでしまった。私は何が起こったのかわからなかったのだが、私のせいで父が怒り、食券を買ったにもかかわらずレストランを飛び出して帰途についたのだった。母も姉も「お前のせいでレストランで食事ができなかった」とイライラし、私もせっかくお子様ランチが食べられると思っていたのにわけもわからないまま帰ることになり、しかも母と姉から疎まれ、父は激怒している。
結局家に帰ってインスタントラーメンか何かをまんじりともせず家族ですすった。私は身の置き所がなかった。
今思えば、幼児がじっと待つ状態に耐えられるわけがないし、家族でずっと椅子に座っていなくても一人がレストランで待っていればよいのだから、父か母が座って待ち、開いた方の大人がちょっとトイレだったりほかの階だったりに私を連れていき、少し気を紛らわせておけばよかったのだ。
そんなことにも頭が回らず、幼児を大人扱いして激昂し、支払いが終わっているのに食事をせずに帰る父も、それらを幼児の私の責任にする母も姉も頭がおかしかったと思う。

こんなこともあった。
私はなぜか父と二人で、近所のスーパーではないところのスーパーに何かを買いに行くことになった。
そのスーパーは、たまにしか行かないのだが、ガシャポンが一番充実しているスーパーだったので、私は好きだった。たまにしか来られないので、私は父は怖かったが、ガシャポンをやりたくて、父にガシャポンしたい、と頼んでみた。実は、以前来たときに、おにぎりの形で中の具まで再現された消しゴムのガシャポンがそのスーパーに置いてあったのだが、その時は「次来た時に」と言われてさせてもらえなかったのを覚えていたのだ。
ダメ元だったのだが、意外にも父は100円を私に握らせてくれた。
私は嬉しくて、駐車場の車で待つ父をなるべく待たせないように走ってガシャポンをやりに行った。ところが、ガシャポンは品ぞろえが変わっていて、もうそのおにぎりの消しゴムはなくなってしまっていた。私は、このまま戻ったら父からガシャポンをすると言ったのに嘘をついたと言われて殴られると思い、キラキラときれいなスーパーボールのガシャポンをした。透明でラメの入ったスーパーボールをもって私は一目散に父のところに帰った。
父はそれを見て、「お前はおにぎりのガシャポンをやると言ったのにこんなものを持ってきた。ガシャポンがなくなっていたのならなぜ金を持って帰ってこなかったのか」と殴られた。

また、父は私が私の部屋にいると、必ずと言っていいほど急に部屋に入ってきた。
家を新築し、私が私の部屋をあてがわれた後の話。
私はついに一人でいられる場所を手に入れたと有頂天だった。小学生の頃はお人形の部屋を広げて楽しみ、お絵かきをしたり、漫画の本を読んだりした。でも、部屋の中で一人でそうやってくつろいでいると、「ズンズンズン」と地響きを上げて足音が近づいてきて、何をする暇もなく「バン」と父が私の部屋のドアを開けて入ってきた。そして、夜なら「早く寝なさい」、昼間なら何も言わずに私をにらみつけた。私は夜なら足音が聞こえた時点で読んでいた漫画や描いていた漫画、イラストを隠し、電気を消さなければならなかったし、昼間なら何をしていたのか説明しなければならなかった。これは私が中学を出るまで続いた。
私は漫画やイラストをとても集中して描いていることが多く、この父の乱入は本当に心からストレスだった。このため、耳が異常によくなり、父が自分の部屋の真下にある居間から出たような気配がした時点で描いていたイラストを隠したり、漫画をしまって寝たふりをしたりするようになった。また、それ以上に、漫画を読んだり勉強したり、お人形を遊びをしたりといったような、当たり障りのないことを自室でするのを極力やめた。自室でやるから、誰にも立ち入ってほしくない自室に父が入り込んできてしまう。みんながすでにいて、私が何をしているのか明らかにわかる居間でやれば、父は私の部屋に入らなくても私の行動がわかる。
父や母は、私が寝るとき以外ほとんど居間にいることを、寂しがりだからと勝手に解釈していたようだが、実際は、自室に誰も立ち入られたくなかったからだ。
姉はこういった「突然部屋に入室される」ということはされていなかった。
この姉との扱いの差については、「毒姉」について別に記載する。

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