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毒親からの解毒日記

自己中心的で「暴力はしつけ」タイプの父、浪費家で「私は悪くないわ、気が付かなかっただけ」タイプの母に育てられ、子持ちになって初めて自分の中にあった親からの毒に気が付いたアラサー女の独白です。

毒父からの暴力

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毒父からの暴力

母が家出をし、借家に父が転がり込んだ後くらいから私の記憶は存在していく。
母が家出をしたのは、嫁いびりに耐えかねたのもさることながら、父の家族への無関心や新車購入があったはずだが、そうなってからも父は車を買い替え続け、家に帰ってきても父親らしいこと(一緒に遊ぶとか、家の庭掃除をするとか)は一切せず、ぼろ屋の一室を自分の部屋としてその部屋に引きこもった。食事の時だけ出てきては、むっつりとテレビを見ながらご飯を食べ、私が食べきれないとげんこつで殴りつけた。これが、目から星がでるほど強く殴る。私は父がただただ怖かった。
今思うと、そのぼろ屋には6歳までしかいなかったので、そんな年の子が食べる量にむらがあるのなんて当たり前だ。しかも、祖母の味付けはとても濃いときや薄いときがあり、残り物を全部ぶちこんで卵でとじた、というような、なんとも言えないものが出てきたりしたし、何しろむっつりしていつも不機嫌で、食べられないと言おうものなら殴ってくる大の男が目の前にいる状況で、何を出されてもおいしく完食などできるはずもない。そのうち、たべられないものを鼻をつまんで飲み込むようになった。しかし鼻をつまむのは嫌がって食べているのがわかるからと殴られ、そのあとは息を止めて飲み下すようになった。まあ、この手を使っても私は小学校までは胃が小さかったようで、おなかがいっぱいになってしまうとどうしようもなかった。泣いても倒れても食べるまで誰も許してくれなかった。祖母は「少し時間をおけば食べられるよ」と言ってくれたので、しばらく猶予をもらえるのだが、5分10分でまた「早く食え」攻撃が始まる。
祖母がいなくなってからは、就業時間の不規則な母に食事の準備ができないため、父が夕食を作ることになったのだが、これもつらかった。簡単で酒のつまみのようなものばかり出てくる。しょっぱいので、水がほしいと言えば「水なんか飲んだら全部食べられなくなる、味噌汁を飲めばいい」と言われ、味噌汁が熱くてしょっぱい、水がいいのだと言えばわがままだと殴られた。
とにかく量も多かった。子供だからと言って量を減らしてもらえない。大人一人分が盛りつけられる。子供用の小さな茶碗で食べたいと言っても、もう幼稚園じゃないんだからと禁止され、食べきれないと父が怒り、殴られるか「もう知らん!」と怒鳴られて部屋にこもられるかだった。
姉は賢く、台所にいる間に巧妙に自分の嫌いな長ネギを私の皿に移したり、ご飯を減らしたりしていた。私が真似をすると、姉も母も「お前はだめ、ちゃんと食べなさい」と言って否応なく盛りつけられた。恐らく、姉が自分の食べたくないものを母の皿に入れれば、母は「ちゃんと自分で食べなさい」と姉に諭しただろうと思う。母は自分に実害がないので姉を止めず、私が真似した場合は食べ物の行き先が自然と母の皿になってしまうため嫌がったのだろうと思う。私は姉の分までてんこ盛りに盛りつけられた夕飯の前で毎日苦しんだ。食べきれなければ父に怒られる。殴られるのも嫌だし、怒鳴られて父が不機嫌に部屋にこもれば、父を不機嫌にしたということで母から責められる。
一度、気分が悪く、これ以上食べたら戻してしまう、というくらい食べられない日があった。例によって私の皿にはてんこ盛りのチキンライスが盛りつけられていた。もう見るだけでも吐き気がこみあげてきて、どうしても食べられない、と私は父と母に訴えた。しかし、母は何も言わずにただ座っており、父は「食べられないはずはない、わがままを言うな」と私を怒鳴りつけて殴った。母はいつも通り、殴られる私を見て「パパの言う通りにしなさい」といった。
私は泣きながら三分の二ほど残っているチキンライスを口に運んだが、やはり次の瞬間、無理やり胃に入れていた三分の一と一緒に吐き戻した。父と母は途端に無言になり、父は部屋にこもり、母は黙ってその皿を下げた。
私は私が食べられないといったら本当に食べられないのだということを証明できたと思った。
でも、その後もやはり食べられないと殴られる日々は続いた。中学生までだ。それ以降は、育ち盛りになったこともあったし、そもそも食べるものがなかったことも多かったので食事は食べきれるようになった。
父からは何度か家を追い出されもした。借家にいたころに追い出され、真っ暗な人気のない田舎の農道を一人泣きながら歩いた記憶があるので、6歳までのうちに2,3回はやられたということだ。一度は裸足だった。
ところが、その追い出されたという事実が印象深すぎて、なぜ追い出されたのかさっぱり思い出せない。食事が食べられなかったのか、部屋の片づけをしなかったのか、ほかに理由があったのか。とにかく家を追い出され、母が迎えに来るのを待っていた。母もなかなか迎えに来なかったが。
姉はそういった暴力を受けていなかったように思う。食事の時に私に押し付けたり、中学校以降は姉は部活や勉強を理由にあまり父母や私と食事を共にしなかったので、父や母との接触事態少なかったのではないかという印象だ。

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