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毒親からの解毒日記

自己中心的で「暴力はしつけ」タイプの父、浪費家で「私は悪くないわ、気が付かなかっただけ」タイプの母に育てられ、子持ちになって初めて自分の中にあった親からの毒に気が付いたアラサー女の独白です。

毒父について

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毒父について

かなり長い間、父の方は毒ではないと思い込んでいた。
どうしてかというと、母の毒素の方がひどかったから。
しかし、自分の家庭を持ってみて、家計のことや父であり夫である人の態度を自分が母であり妻である立場になって見てみると、父もとんでもない毒だった。

父は、比較的裕福な家庭に生まれた。小学生の頃のあだ名は「ぼん」だったらしい。「ええとこのぼん」のあの「ぼん」だ。父の父、私の祖父に当たる人は旧家の出身で、10人兄弟だかの5男坊で大学まで卒業し、公務員として全国を転勤して歩く人だった。1916年生まれで大卒な人はそう多くはない。父の母、私の祖母は生粋のお嬢さんで、老舗の旅館の本家筋出身。祖父とは家格が釣り合うということで、若いころからなんとなく許嫁のようなものだったらしい。世間知らずで、一度も外で働いたことはなかったが、趣味で始めた手芸の教室なんかを家で開いていた。祖父に言わせれば、この手芸の教室は、対して受講料もとらない上に材料をぽんぽん祖母がくれてやるもんだから、手出しの方が多いくらいだったらしい。
そんな祖父母の息子として父は生まれ、2~4年ごとに全国に転勤する祖父についてまわった。
祖父は公務員であることにかなり責任を感じている人だったらしく、「自分がもらっている給料は国民の血税である」として、祖母に家計簿をつけさせ、父や父の姉(私の伯母)が長距離電話をすれば、何分間どこに電話したか記録させたらしい。
伯母の方は努力家で優等生で、父は不勉強でできが悪くて有名だったそうだ。伯母は大学を卒業して東京の銀行員として勤め上げた。父の方は国立大学に入学したものの、学生運動にはまって留年を繰り返し、中退した。在学中に母と出会い、結婚して姉が生まれた。
のちに姉から聞いたのだが、父と母はできちゃった結婚だったようだ。
たしかに戸籍を見たとき、姉が生まれる五か月ほど前の入籍日となっていた。
姉は両親が24の時の子なので、大学卒業後の父母に何があってできちゃった結婚したのかはわからない。姉情報では、父にはほかに付き合っていた女性がいたらしい。姉ができてしまったので仕方なく母と籍を入れたのだという。道理で父と母に結婚式のことを聞いてもはぐらかされたわけだ。
そんなわけで、結婚してからは父と母は父の実家で同居することになった。
後述するが、母は家事がほとんどできない人で、しかも看護師だった。専業主婦で「稼ぐのは夫の仕事」という価値観で生きてきた祖母の意に染まないことこの上ない。しかも育ちの良い自分のかわいい息子をできちゃったから奪った憎い女。というわけで、祖母は上品に母をいびったらしい。主にいびりは口頭で、「育ちの悪い人はこれだから」的なことを繰り返し言う。父はマザコンなので、自分の母親が妻のことを悪く言っても知らない顔をしていたようだ。これは父の父が亡くなったときに私の目の前で父と母が言っていたことなので確実だろう。
また、父は仕事についてから車を車検の時期になると買い替えていた。これは祖父が比較的充実した年金を得ており、持ち家で、祖母も人の面倒を見るのが好きなタイプだったので、想像するに父は給料のほとんど全額を自分のために費やすことができていたためと思われる。
しかし、妻としては居候なので居心地が悪く、夫は自分の欲求を優先して新しい車にばかりお金を使い、姑にいびられ、しかも自分は人一倍稼ぐことができる。
そして母は姉と幼い私を連れて離婚する覚悟で同居していた父の実家を飛び出した。
これで離婚していればめでたしめでたしだったのかもしれないが、父は母を追いかけて自分も家を出、母に手をついて謝ったらしい。母と父はそこでぼろぼろの借家に家族で住むことにしたのだ。
そして数年その借家に住んだ後、新築で家を建て、家族で引っ越しをした。
そこでまた十数年家族で住み、姉も私も大学に行って一応独立した。それからは父と母だけの生活になったが、父は55歳の年にぷいと務めていた地方の中堅企業を辞め、赤帽になるべく車を買った。しかし、当然のことながら、自分で買った車にペイントだけすれば赤帽の社用車になるはずもなく、新たに赤帽の車を購入しなければならないということを説明会で聞いて赤帽になるのはあきらめた。タクシーの運転手や温泉の番頭などを経て、母の世話をする専業主夫になって、すっかりぬれ落ち葉となっている。
なぜ父が30年も務めた会社を辞めてしまったのか?
早期退職優遇制度があったわけでもない。社長が変わって嫌になった、そもそも入社したころの定年が55だった、というのがその理由らしい。赤帽の話も本当に馬鹿だと思う。社用に使う車なんだから、あっせんがあってしかるべきと思わないのもおかしいし、始める前に調べないのもどうかしていると思う。

以上が私から見た父の人生だ。

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