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毒親からの解毒日記

自己中心的で「暴力はしつけ」タイプの父、浪費家で「私は悪くないわ、気が付かなかっただけ」タイプの母に育てられ、子持ちになって初めて自分の中にあった親からの毒に気が付いたアラサー女の独白です。

毒父への疑い:発達障害?

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毒父への疑い:発達障害?

毒父は、母からの愚痴にもあったとおり、ピーターパンシンドロームに間違いなかった。
とにかく大人の一人の男性たる自分を持たなかった。
家族が居間にいても部屋に引きこもる=自分の殻に引きこもる、
子どもが子供らしくあれば付き合いきれないと突き放し、殴り飛ばす。
包容力、というものをかけらも持っていなかった。自分の妻にも娘たちに対しても、
職場でもこれはそうだったようだ。よく上司と喧嘩して帰ってきて、
イライラと部屋に引きこもり、母がいると
「○○(社長とか部長とか)がつまんねえこというからよ、黙れって言ってやったんだ」
などとさも勇気ある行動をとったかのように報告した。
実際はどのパターンでも、自分のやり方に合わないから癇癪を起したのだろう。
仕事を早期退職したときも、社長と口げんかしてもうやめてやると癇癪を起してやめた。
恐らく、大学を中退した時も。

しかし、これだけなら癇癪もちなんだな、くらいにしか思わなかったが、
最近、父が発達障害を持っているのでは?と感じ始めた。
まず、急場に対応できない。
以前、姉が妊娠中に実家に滞在していたとき、不正出血があった。
私は仕事があり、家を空けていた。
父は在宅だったので、姉は父に出血している、どうしよう、と言ったところ、
父は「俺、酒飲むから無理」と言って姉との会話を終わらせたらしい。
姉は絶望し、泣いているところに私が帰宅した。
姉も初めての妊娠で動揺しており、私ももちろん妊娠したことがなかったので、
対応がわからなかった。母は看護師だったが、電話がつながらなかった。
でも私は以前脚立からバイト中に落ち、バイト先の社員さんが119番に電話して
救急外来がある病院を紹介してもらってタクシーで送ってもらったことがあったので、
その時のことを思い出し、とにかく電話してみようと思い立った。
とりあえず私から近くの救急外来がある病院に電話し、
姉に電話を替わってもらって状況を説明し、受け入れてもらう予約を取り付け、
姉を病院に運んだ。
父はその間、酒を飲んでパソコンでゲームをしていた。
結局姉と姉の子は事なきを得たが、私は父の無能さにぞっとした。

母にこの時の父のことを言ってみると、母にも思い当たることがあった。
姉が小さいとき、手足口病か何かで姉が病院におり、父がそれを迎えに来たことがあったらしい。
その時、父が着てきたのがなんと母のカーディガンだったのだそうな。

また、最近のことだが、夫のイノの実家の近くがテレビで取り上げられたことがあった。
珍しいお店があり、夏と冬でやっている商売を替えるのだ。
夏は海の家、冬は居酒屋、という感じだ。居酒屋の方がかなり全国的に有名になり、
その日もテレビに満員の客席が映った。インタビュアーが「夏の営業もコッチでいいんじゃないですかね?」と店主に言うと、「そーですねーハハハ」という風に店主が乗り、店員も「ウチはずっと居酒屋にします」などどインタビューに答えた。でも、どう見ても夏は夏で海の家を辞める、という風には取れない内容だった。みんな冗談で「居酒屋します」と言っているのがわかる雰囲気だったからだ。
ところが、父はその番組以降、「あの店はもう海の家をやめて居酒屋一本にすると言っていた」と譲らなくなった。あの冗談を言っている雰囲気を理解せず、言葉をそのまま真に受けているのだ。イノも「そうかもしれませんね、居酒屋の方がもうかってますでしょうしね」などと調子を合わせていたが、これはちょっと変だと思ったようだ。

また、じっとしていられない。これが私が小さいころから家の中に父がいるだけでリラックスできなかった理由の一つだ。座っていると貧乏ゆすりがひどく、急に大きな音を立てながら動き出す。思いつきも急で、家族で食事に行くにしろ、「さあ、行くぞ、今すぐだ」と始まり、準備に手間取るとイライラし、少しも待つことができない。すぐに「もうやめだ」となる。
キレやすく、会話が続かない。話題が本当に見つけられないらしく、先日は私の妊娠中の友人のことを話題にされて驚いた。その友人と父は会ったこともほとんどなく、会話したことはもちろんない。私がイノに世間話で話していたことを横で聞いていただけだ。

母のカーディガンを着てきた、というのもあるとおり、自分のものと家族のものの区別がつかないらしく、私が離婚して出戻ったとき、私のハンドバッグの中身をいきなり漁りだしたのも驚いた。その時はもう「こいつらは毒親だ」という確固たる認識が私の中にあったので、「ちょっと!人のバッグを勝手に漁らないでよ!」とかなりきつく言った。
その後、母から「パパが、トリはきつくなったなあ、って言ってたよ」と責める口調で言われた。
人のバッグを漁る方が頭がおかしいと思うが、母も娘と自分の境界線がない人なので、父が私=母のバッグの中を見ることの気味悪さがわからなかったのだろう。
たぶん、私の部屋に急に入ってくるのも、電気代がもったいないとか、娘=所有物の動向を確認したいとかに加えて、自分の部屋の中を見る、というくらいの気持ちなのだろう。

また、極度のマザコンというか、親離れできない。
前述のとおり、父は幼少期に「ぼん」と呼ばれるほどおぼっちゃんとして育ち、
社会人になってからも実家に帰るのが大好きだった。
祖母はいつもカニや刺身を買ってきて、手作りの煮物を何種類も作り、帰ってくる父を歓迎した。
なんと、それは今でもだ。祖母はすでに90歳を超え、台所に立つことができないが、その面倒をみている父の姉が今では祖母の代わりにやってきた父と母をもてなす。
父はそれを当たり前のことと思っており、先日は私にその役割を求めたので、ぶちきれた。
お前らが今度はご馳走を揃え、娘と孫をもてなす立場なのだ。身動きできなくなった自分の母親の代わりを、乳飲み子を抱えた娘にさせるとは何事かとブチ切れたら、やっと理解したらしく、それ以後はもてなしを求められなくなった。
姉が夏に来たとき、父は「食事は姉が作るから」と言っており、そういう約束ができているのかと思って甘えたが(私も臨月だったので)、思えばあれも父が勝手に母親役を姉に押し付けていたのだろう。

父は趣味もころころ変えた。
ボーリング、ビリヤード、スキー、ハングライダー、釣り、バイク、車、鉄道模型、食玩、キャンプ。どれも続かなかった。釣りだけはやや長期間に渡ったが、それでもアユ釣りから海釣りになったりと、何かを一つだけ続けるというようなことはなかった。

これらのことから、父も発達障害ではないかと私は疑っている。

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