母は非常に人当たりがいい。職場でも誰とでもまあまあうまくやる。
そして家に帰ってきてから私に「誰それさんはすぐ気が変わって」と私が知らない人の愚痴を言う。昔からのスタイル。
そして自分は動かず、人を操ってほかの人のご機嫌を取ろうとする。この母の習性はどうやってついたんだろうと思う。究極のものぐさのたまものなんだろうか。
小学生の時、友人だと思っていた一団から無視されたり悪口を言われたり、死ねと手紙をもらったりといったいじめを受けたことがあった。今思えば、私みたいなのが自分の周りをうろついていたらいじめる。むしろよくそれまでいじめられなかったものだ。
それを母に言うと、母は授業参観にも来たことがないのにいきなり学校に乗り込み、なんとかしろと担任に詰め寄った。私はそこまで大事にされると思わなかったのでびっくりした。こんなことでそんなことをするくらいなら、授業参観に来たり服を洗濯したり朝ごはんを食べさせてほしかった。
私が大人になってからもそれは続き、離婚したヒモの苗字の時に登録した眼鏡屋からダイレクトメールが私宛に実家に届いたとき、母はなんとその眼鏡屋に電話して、もう送ってくるなといったらしい。姉が教えてくれた。
母はなんというか、娘と自分の境界線がわからない人らしい。自分の琴線に触れるようなことが娘に起こると、自分のことのようにいきり立って解決させようとする。そのくせ、母親として娘たちを守ろうとか、娘たちをちゃんとしつけようとか、そういう頭は全くなかった。
おかげで、裁縫も家庭科の授業で習ったし、「母の味」みたいな思い出の手料理も一つもない。私も姉も、クックパッドや料理本をたよりに、自分たちで料理の腕を上げた。あえて母の味というのであれば、うちでよく利用していたスーパーの総菜の味だ。
先日、私と夫が住んでいる家に父と母が来た。月に二回くらい来る。夕食を食べて一泊するということで、夕食の準備の時間になった。母は私に作らせたかったらしく、「野菜を煮たら?」とか、「ほら、パパ(毒父)が台所にいるよ。魚あんたが焼いてあげたら?変わった焼き方するんでしょ?パパに教えてあげたら?ね?」などとしつこく言ってきた。そう思うのなら自分で動けばいいのだ。トドのように座ってなんとか娘に夫の手助けをさせて夫を楽させようとするのではなく、自分の夫なんだから自分で動いて夫を楽させればいいのだ。私は意地でも動かず放置したのだが、母は最後まで「やってあげればいいのに。パパは腰が痛いのよ」と言っていた。この出来事で、今までどんなにこんな風に母から「そそのかされて」やらされてきたのか思い出した。不機嫌な父の機嫌を取りに行かされたり、反抗期の姉の希望を伺いにいかされたり、姉の制服にアイロンをかけたり、受験勉強中の姉に飲み物を用意して運ぶのも私だった。姉が中学生・高校生だったころって、私は小学生だ。よくも姉の制服にアイロンがけなどやっていたものだ。全部母から「あんたの方が上手だから」と言われて操られていた。私が必死でそれらをやっているとき、母は録画した二時間ドラマを見て寝ていた。私は「ママは疲れてるからしょうがない。ねーちゃんは言ってもきかないからしょうがない。パパは言ったら殴られるかもしれないから接触したくない」と思っていた。
当時IQを測定したらかなり高かったんじゃないだろうか。子どもとして自分が生きていたのは、この父と母と姉のせいで5歳くらいまでだと思う。