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毒親からの解毒日記

自己中心的で「暴力はしつけ」タイプの父、浪費家で「私は悪くないわ、気が付かなかっただけ」タイプの母に育てられ、子持ちになって初めて自分の中にあった親からの毒に気が付いたアラサー女の独白です。

毒母について

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毒母について

一番の猛毒、しかし本人に自覚なし。

母は田舎の姉妹の妹の方として生まれて育った。
昔から成績はよかったらしい。家は雑貨店のようなものを営んでおり、父親(私から見て祖父)の実家が結構な豪農だったこともあって、食うには困らない、という感じの生活をしていたようだ。
しかし、父親は酒乱でかなり暴力をふるったらしい。一度話を聞いたところによると、母の父はしつけと言って真っ赤に焼けた火箸を押し付けたり、家のものを壊したり殴ったりして、母の母(私の祖母、ババラ)は何度か逃げたりもしたらしい。一度、目が覚めたら父も母もおらず、ガラスの破片が身の回りに散乱しており、体が血まみれだった、という経験もあったようだ。
それでもババラは子供が大きくなるまではと離婚せず、母と母の姉(母方伯母、この人もおかしい)が大学を卒業してから正式に離婚したものと思われる。
立派なアダルトチルドレンである母は、「女が一人でお金を安定的に稼ぐには」という観点から、全く憧れでもなく志もなく看護師になった。しかし、看護師になって1年目、妊娠してしまった。姉である。それで、父と結婚した。父のどこがよかったのかわからないが、共依存になりやすい組み合わせの二人だったろう。
ここからは「毒父について」のところの繰り返しになるが、自分で稼いだお金を家にも入れず車につぎ込んで、嫁いびりをする姑からかばいもしない父に嫌気がさした母は、手に職があるのをいいことに父の実家を飛び出してババラを呼び寄せ、8歳の姉と2歳の私の世話をババラに丸投げして仕事に励んだ。おかげで、主任、副婦長、婦長とつぎつぎに昇進していき、次は部長か、というところで看護学校の教員にならないかと声がかかり、教師に鞍替えした。
それからはずっと看護学校の教員をやっている。

母の来歴を客観的に見ると、父ほど馬鹿な行動をしていないのがわかる。
むしろ堅実で真面目な女性である。
しかし、やはり自覚のないアダルトチルドレンだった母は、精神的な虐待を無自覚に繰り返す。

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